2013年3月22日金曜日

で、大学教官としての研究者って?

 さて、今回は、そんなこんなで何とか大学にもぐりこんだとして、先の心配はないし(ないことにして)研究にいそしみましょう!となってからのお話。
 これは、助教だろうが、準教授だろうが教授だろうが当てはまります。

 最初に書いたように、大学での研究テーマの選択は自由度が大変高いです。学術的に価値があり、倫理的に問題がないものならば、なにをやってもよい、というのが、ま、大半で、そこが大学のよさでもあります。
 勝手にテーマを決めてよろしい。好きなことをやってください。ただし、成果を出すこと。
 ・・・・・すばらしいことですが、大学の研究には、いわば先行して存在する『需要』がないわけです。こんなことをやってくれ、という他からの要求がない。研究者自身が、『こんなことを研究すると、こんなことがわかって、こんなに役に立ったり面白かったりします』ということを他者に説明して、その存在価値を納得してもらわなければなりません。

 なぜ、納得してもらわなければならないか。

 それは、研究予算を自分で獲得しなければならないから。

 ・・・・これまでの記事も読んでくださった方の中には、『この人、カネの話が多いひとだね』と思われる方もいらっしゃると思いますが、そう、大学での研究に研究費の『工面』は必要不可欠なのです。
 
 当然といえば当然ですが、大学で研究をします、といったからといって、研究に十分な予算が大学だの政府だのから自動的に誰にでも降りるわけではありません。研究をしたければ、研究にかかる費用をカバーするために『研究費』を取らなければならない。
 文部科学省から、科学研究費補助金の課題募集があり、これは非常に広い範囲の学術研究をサポートするものですし、他にも経産省や農林水産省などから、どちらかといえば実学志向な研究をサポートする資金に予算申請することも出来ます。公的機関からのみならず、私立公益財団から、テーマを絞った助成金への申請の募集も多くあります。

 公私さまざまな研究助成金が存在し、自分に合ったところに応募できるのは素晴らしい。
 しかし、申請は、当然却下されることもあります・・・・・単純に数字『だけ』で考えると、一番取りやすい=競争率が低い予算は、科学研究費補助金(科研費)でしょう。これだと、大概4倍から5倍ぐらい。私立財団の予算は、倍率だけを見ればぐっと高くなって、8倍かそれ以上とはいえ、私立財団からの助成は、申請課題の学術的価値、というもののほかに、その財団の、いわば「好み」とでもいうものが大いに反映されます。その辺、たまたま相手の好みのど真ん中!な申請書を書くことができれば、いきなりとりやすくなったりもするわけです。つまり、数字としての倍率、は、あまり意味がないともいえます。
 
 細かいことはさておき、たとえば、科研費。倍率が低めの4倍であれば・・・・つまり、それでも応募者の4分の3は『落ちる』。応募は一年に一回(11月はじめごろに締め切り、4月1日に結果発表)しかできないので、これを外すわけにはいきません。というわけで、日本の大学に所属する研究者は10月に入ったぐらいから、眉間にしわを寄せて書き物していることが多いと思います。

 さて。半年たって、4月1日の発表をチェック。晴れて研究費が取れた!
 ばんざ~~~~いぃ!!!

 ・・・・・と祝杯なんか上げたりして、大喜び。
 さて、これでやっとのことで仕事がスタートラインに立ったわけです。研究費は研究をするための前提。そもそもそれを取ってくる目的は研究の完遂、なわけで。

 研究費が取れたら、その額によって、消耗品・機器を購入し、さらに人件費もとれたならば人を探して雇用し、やっと研究が軌道に乗ります。
 ああだこうだと頭を悩ませ、思った通りの結果が出たりでなかったりに一喜一憂。
 少しまとまった結果が出たら学会で発表し、もう少しまとまったら論文にまとめます。
 論文にまとめて、科学雑誌の編集部に送ると、さらに『審査員』にその論文が送付され、審査員たちは、その論文の原稿を矯めつ眇めつ、時にもっともな、時には重箱の隅をつつくような査定をし、その査定をまとめたものが、編集部を通して、再び自分の手元に帰ってきます。で、その査定に隅から隅まで目を通し、ひとつひとつに合理的なコメントで答え(適当にはしょると、それ以上の査定をお断りされる、と脅されるのが普通)、必要ならば(たいてい必要)新たな研究結果を付け加え、まとめなおし練り上げたものをもう一度編集部に送り・・・・それで審査員からOKが出れば、晴れて論文は発表され、研究結果が日の目を見ることに。運が悪ければ練り直した論文は却下され、しょうがない、振出しに戻って、今度は別の科学雑誌の編集部に送って、そこから審査員に送ってもらって、以下同文、ということになります。

 この過程は、言ってみれば、「ものすごく厳しい指導教官について、卒論を書いて、指導教官がOKを出してくれないと絶対卒業できない」大学4年生みたいな状態。いい加減なことして、いいじゃん、通してよ、はあり得ないのです。
 で、無事卒業=論文を発表したら、勇躍次の仕事にかかります。前の研究をしているうちに見つけた新たなネタをもとにアイディアを膨らませて新しい研究を計画し、研究費獲得のための申請書を書き・・・・と、サイクルの一番最初に戻る。研究のアクティビティの高いグループであれば、このサイクルが重なり合った形で複数走っているわけです。
 これを定年退職まで自発的につづけよう、というのが、研究者の職業人生、なわけ、ですな。

 この間、大学教官であれば、当然授業や実習を教えます。また、大学という組織を運営するのに必要不可欠な雑用も入ります。入試業務とかね。学生さんとの常日頃のやり取り・指導などなどは、当然ながら優先順位が一番高い、一番重要な任務です。

 ところで、この話題の最初に戻りますが、(国公立)大学の教官って、聞こえはいいけれど、そんなにお給料はよくない(寡聞にして私立大学教官のお給料は存じませんが・・・・・)。

 そんな人生、楽しいワケ?
 
 ・・・・・・・・・楽しいと思っている人が集まっているのが大学、なのです。

 考えてみれば、私が上記でかなりのスペースを割いて記述した「研究費獲り」に頭を悩ませる度合いが少ないのが、公立研究所勤務の研究者、ほぼないのが、営利企業の研究者。研究費獲り自体は、ゲーム感覚で結構楽しいところもあるにはある、という点も鑑みて、自分がどの立場になりたいか、思いを巡らせてみるのも時に面白いと思います。

 

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